私はかつて武器商人という名で呼ばれたこともある男だ

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満州が舞台になっている映画、小説、漫画(アニメ)

満州国とは?

満州国をご存じでしょうか? 満州国は1932年に日本が中国東北部満州地域)に建国した傀儡国家です。1945年の終戦に伴い解体されましたが、そのわずか13年の間に、欧米を驚かせるような経済成長を遂げ、素晴らしい芸術や文化も生み出されました。しかし、残念なことに、日本の教科書では満州国について詳しい説明はなされていません。むしろ、歴史からその事実を抹消しようとする意図すら感じられます。当記事では満州国について知りたいという方向けに、映画、小説、漫画(アニメ)をご紹介します。

満州国について

国家の三要件は以下の通りです:

  1. 領土:国家が支配する一定の地域。
  2. 国民:国家にはその領土内に住む人々(国民)。
  3. 主権:国家が他国から干渉されずに、自らの法律や政治を決定する権限。

これらの要件を満たすことで、国家として成立する。

ところが、満州国は国家の出で立ちからして異形です。この点については以下の書籍が詳しい。

 

満洲国を頭が獅子、胴が羊、尾が龍という怪物キメラと想定してみたい。獅子は関東軍、羊は天皇制国家、龍は中国皇帝および近代中国にそれぞれ比すが、そこにこめた含意は行論のうちに明らかになっていくことと思う。

山室信一. キメラ 満洲国の肖像 [増補版] (中公新書) (p.24). 中央公論新社. Kindle 版. 

書籍名からもわかるように、満州国を空想上の怪物キメラに例えられています。

満州国が舞台の映画

ラストエンペラー(1987)

清朝最後の皇帝で後に満州国の皇帝となった愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の生涯を描いた映画。上述のキメラに例えると、龍の部分にあたる人物であり、満州国の皇帝となる。溥儀が生まれた時代は激動の時代で、2歳で清国皇帝に即位するも、辛亥革命が起こり、紆余曲折の末に退位する。その後、満州事変以降、関東軍主導で建国された満州国の皇帝として即位する。こうした歴史的事実に基づいた物語が、壮大なスケールで映画化されています。

人間の條件(1959~1961)

五味川純平さんの同名小説を原作とし映画化した作品。

※映画としての舞台は満州という設定ですが、政治的な都合でロケは国内で行われております。

自らの従軍体験を基にした作品です。五味川さんは実際に招集され、満州の部隊に所属していました。ソ連軍の満州侵攻時、所属部隊はソ連軍の攻撃を受け、ほぼ全滅に近かったと言われています。

また、小林正樹監督も招集され、ソ連国境警備に従事した経験を持っています。

このような背景からも分かるように、この映画はまさに戦中派の作品です。実際に体験したことを元に描かれているため、細かい描写が非常にリアルで、戦後派の映画とは比べ物にならないほどのリアリティがあります。そのため、是非そのリアルさを肌で感じてください。特に、軍隊生活やピー屋の描写は、その当時を知る人でなければこうは描けないと思います。

9時間31分という非常に長い作品で、商業映画としてはギネスブックに掲載されたこともあります。これほど長いにも関わらず、作品としてのレベルが高く、役者たちの素晴らしい演技が光るため、退屈することはありません。

作品は第1話~第6話までの六部構成で、一応話の区切りがついていますので、1話ずつ観ることもできます。なにせ長いので、少しずつ観るのも良いかもしれません。

第1部と第2部は、満州の製鉄所で捕虜の労務管理をしているときの話です。日本人が威張っていた時代背景が描かれています。

第3部と第4部は、満州での軍隊生活に関する話です。軍隊という閉鎖的なコミュニティでのいじめは、今の人々にも通じる部分があります。また、ソ連との戦闘シーンも描かれています。

第5部と第6部は、ソ連軍から敗走する話と、自らが捕虜となる話です。敗残兵としての惨めな身分が描かれています。

 

戦争と人間(1970-1973)

こちらも、五味川純平さんの同名小説を映画化した作品です。

人間の條件』は、一人の人間としての主人公梶の物語といった感じですが、こちらはもう少しスケールが大きいです。

戦争大河ドラマとも言われています。

1928年(昭和3年)の張作霖爆殺事件前夜から1939年(昭和14年)のノモンハン事件までを背景に、歴史的な事件を説明しながら物語が進行します。原作は、ノンフィクション作家の澤地久枝さんが資料助手を務め、ファクトチェックを行っているため、比較的正確な記載が多いです。 ※南京事件の死者数などは若干不確かですが、現在でも議論が続いている部分です。

731部隊の話やアヘンビジネスの話も登場し、満州国とは何かを知るには、この映画ほど適したものはありません。

キャストも豪華で、滝沢修芦田伸介高橋悦史浅丘ルリ子吉永小百合北大路欣也高橋英樹三國連太郎中村勘九郎(五代目)、石原裕次郎加藤剛江原真二郎といった有名な俳優が揃っています。

 

 

 

【読書】「麻雀放浪記」(アクションコミックス):戦後動乱期の世相を上手く描写する麻雀漫画の名著

麻雀放浪記」と聞いてピンとこないかもしれないが、ジャンプで連載されていた『哲也-雀聖と呼ばれた男』といえば、多くの人がピンとくるのではないか。こちらはその原作となった書籍である。

 

 

麻雀放浪記』の著者は阿佐田哲也ペンネーム)であり、非常に個性的な人物である。雀士としてだけでなく、小説家としても超一流であり、色川武大名義で1977年に『怪しい来客簿』で泉鏡花賞、1978年には『離婚』で直木賞、1981年には「百」で川端康成賞を受賞している。また、1988年には『狂人日記』で読売文学賞を受賞した。

 

 

 

 

 

阿佐田哲也昭和4年(1929年)生まれで、終戦時は16歳であった。この時代背景が阿佐田哲也の人格形成に大きな影響を与えたと考えられる。

戦前は「お国のために命を捧げろ」と徹底して教えられたが、戦後になると「民主主義だ」など、まったく逆のことを教えられ、価値観が180度変わる時代に青春時代を過ごしたことが大きな影響を与えている。

また、戦時中は国が配給制をとっていたが、もはや機能しておらず、闇市などの違法取引で物資や食料が賄われていた。

さらに、警察力が非常に弱かったため、犯罪を取り締まることができず、文字通り「弱肉強食」の時代であった。

こうした時代背景のもとで進行するのが『麻雀放浪記』である。バラック小屋でのチンチロや、米軍がたむろするバーでの麻雀など、当時の世相や風俗がリアルに描写されており、理解しやすい。この点、原作の小説よりも漫画のほうがわかりやすいと感じる者も多いだろう。

登場人物も非常にユニークで、現代では考えられないようなキャラクターばかりである。

  • :片腕のない復員兵。
  • ドサ健:超一流のバクチ打ちで、人を騙したりはめたりする人格破綻者。内縁の妻を質に入れるほどの博打狂い。
  • 出目徳:哲の師匠的な立場。年齢はそれなりだが、ヒロポンを売って不摂生を重ねる。
  • 女衒の達:着流しの人買い。

そして、麻雀を題材にした心理描写に惹き付けられる人も多いだろうと思う。特に、ありとあらゆるイカサマが登場する。もちろんバレたらひどい目に合わされるが、イカサマがあったとしてもそれを見破れなかったら騙されたほうが悪いというギャンブラーの矜持が前提となっていて潔い。

10冊と分量が少ないのでぜひ読んでみて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴッド・ファーザーから「ファミリー」と「家族」の違いを学ぶ

私は1982年生まれの42歳だが、大学生の頃に観た『ゴッドファーザー』シリーズを20年ぶりに観返した。

ゴッドファーザー』は、イタリア系移民であるコルレオーネ一家の栄光と悲劇を描いたドラマだ。

今回はたまたまAmazonプライムで配信されていたので視聴してみた。字幕版と吹替版があり、それぞれに良さがあるが、今回は吹替版を選んだ。映画の雰囲気や役者の演技を楽しむなら字幕版が適していると思うが、最近近視がひどく、字幕を読むのが一苦労だったためだ。

さて、20年ぶりに観た『ゴッドファーザー』は相変わらずの迫力だったが、記憶が驚くほど抜け落ちていることに驚かされた。ストーリーをほとんど覚えていなかったのだ。そして、当時気付かなかった点にも目が向いた。

特に印象的だったのは、「ファミリー」という言葉の使い方だ。劇中で「ファミリー」という言葉が頻繁に登場するが、通常日本語で使われる「家族」とは異なるニュアンスがあるように感じた。実際、劇中で「家族」という言葉が使われたシーンは一度もなく、あえてカタカナ英語の「ファミリー」が用いられていた。

こうしたカタカナ英語が使われる場合、単純に日本語に置き換えられないことが多いため、辞書で調べてみた。
ロングマン英英辞典では、以下のように定義されている。

group of people who are related to each other, especially a mother, a father, and their children
(訳:母、父、そしてその子供たちを特に指して、互いに関係している人々の集まり)

この定義は日本語で言う「家族」とほぼ一致しているが、日本語の辞書では以下のような定義も見られる。
家族(かぞく):《家》によって結ばれた繋がり・共同体

つまり、日本語の「家族」は家を中心とした繋がりを強調する概念だ。一方、「family」の語源であるラテン語「familia」では、血縁だけでなく、召使いや奴隷を含む近しい人々を指す意味合いが強いようだ。このため、「ファミリー」と「家族」は単純に置き換えることは難しく、むしろ別概念だと言っても良いくらいだ。

マフィアのような犯罪組織において「ファミリー」という言葉が使われる意味がいくらか理解できた。マイケルにとって娘のメアリーは家族だが、組織に仕える手下はファミリーということになる。明確な語義が異なる。

こういった言葉の違いも敏感に感じ取れるようになってくると、洋画を見る楽しみの幅も広がる。

 

 

 

【映画用語解説】五社協定について

当記事では、映画の五社協定について解説します。

僕は1982年生まれですが、最近になって(2010年以降)日本の古い映画に興味を持ち始めました。その際に目にしたのが「オールスター映画」という説明がついた映画です。オールスターという言葉から、当時の有名俳優たちが全員出演しているのだろうと思っていましたが、実際はそうではありませんでした。

実は、当時は「五社協定」というものが存在し、各映画会社がそれぞれオールスター映画を制作していたのです。

そのため、僕のようにリアルタイムで映画を見ていない世代が古い名作映画を観る際に、この背景を知っておくと理解が深まると思います。今回はその点について解説記事をお届けしようと思います。

五社協定の概要

五社協定」とは、1950年代初頭に日本の映画業界の主要な映画会社が結んだ協定で、映画配給に関する競争を抑制し、映画の安定した興行を図ることを目的としていました。この協定により、映画の配給を制限することで、各社の利益を確保することが意図されていました。

五社とは以下を指します。

この協定は、映画業界の過度な競争を防ぐ一方で、映画の多様性を制限し、映画産業の成長を阻害する側面もあったとされています。

五社の所属俳優

五社の所属俳優を何名かリストアップします。膨大な人数になるので独断と偏見で数名のみの記載としました。みなさんも、自分の気に入った俳優をリストアップしてまとめると後々便利ですよ。

東映

  • 高倉健(たかくら けん) – 1931年2月16日生まれ
  • 菅原文太(すがわら ぶんた) – 1933年8月16日生まれ
  • 千葉真一(ちば しんいち) – 1939年1月22日生まれ

東宝

松竹

  • 渥美清(あつみ きよし) – 1928年3月10日生まれ

大映

  • 市川雷蔵(いちかわ らいぞう) – 1931年8月29日生まれ
  • 勝新太郎(かつ しんたろう) – 1931年11月29日生まれ
  • 中村玉緒(なかむら たまお) – 1939年7月12日生まれ

日活

  • 石原裕次郎(いしはら ゆうじろう) – 1934年12月28日生まれ
  • 小林旭(こばやし あきら) – 1938年11月3日生まれ
  • 浅丘ルリ子(あさおか るりこ) – 1940年7月2日生まれ
  • 吉永小百合(よしなが さゆり) – 1945年3月13日生まれ

フリーランス

フリーランスの名優もいたことも忘れてはいけません。五社協定がある以上、いずれかの映画会社に所属すれば他社の映画には出ることが基本的にはできなくなってしまいます。それを嫌いフリーランスで活躍されていた俳優もいらっしゃいます。

有名なのが、仲代達矢(なかだい たつや) – 1932年12月13日生まれです。実は僕が大好きな俳優の一人です。当時の映画を取り巻く環境については仲代さんの書籍が参考になります。五社協定についても理解が深まるでしょう。

 

 

 

【読書】:「ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち」

どうも、武器商人です。

今回は、僕の人生で最も影響を受けた書籍『ハッカーと画家』をご紹介したいと思います。この書籍は2005年に刊行され、当時のITエンジニアの間でも非常に高く評価されていました。

 

 

それから約20年が経ちましたが、この本に書かれている内容は少しも色あせていません。むしろ、今でも本書に描かれている「ハッカー的な思考」は重要だと感じます。


僕は1982年生まれで、2001年に大学に入学しました。大学1年生のとき、9.11の同時多発テロが起きたことを鮮明に覚えています。

2004年ごろには、ライブドア堀江貴文ホリエモン)が時代の寵児となり、若手IT起業家が注目を集めていました。当時の僕はITに興味がありつつも、いろいろな事情から文系の私立大学に進学し、卒業しました。それはちょうどITバブルの時期で、当時の空気感が懐かしく感じられます。久しぶりに本書を手に取って読み返してみると、当時の熱い気持ちが蘇ってきますね(笑)。


本書の著者、ポール・グレアムLISPの凄腕プログラマーで、Yahoo!ストアの前身となるソフトウェアを開発した人物です。事業家としても大成功を収め、ソフトウェアを売却して今でいうところのFIRE(経済的自立と早期退職)を達成しました。本書は、そんなグレアムがコンピュータエンジニアの考え方やオタクの性質をさまざまな切り口から考察したエッセイ集です。

日本では「オタク」というと、社交性が乏しくビジネスにも不向きなイメージを持たれがちですが、実際には特化したスキルで社会的・経済的に成功している人も少なくありません。本書の著者であるグレアムや、堀江貴文ひろゆきなどもその例と言えるでしょう。


ハッカーと画家」という、一見共通性がなさそうな職業ですが、グレアムによればこの二者は非常に似ているのだそうです。本書では、ハッカーがどのように物事を考え、どのように振る舞うのかが説明されており、それを読むと画家との似ている点に気付かされます。もちろん、画家と似ていることが重要なのではなくて、画家のようなアプローチの中にハッカーの本質だとか美徳だとかそういったものが浮かびが上がってくるという所の洞察こそが大事な気付きだと思います。

日本のプログラマは「工場労働者の下っ端」のような位置付けにされることが多いかもしれません。しかし、本来プログラマはそういったものではありません。会社の教育だとか仕事の進め方次第ではただの作業者になってしまう可能性もありますが、グレアムのような社会的に成功したプログラマの考え方に触れ考え方が変わるのではないかと思います。プログラマは芸術家なんです。


グレアムはLISPの凄腕プログラマーであり、「LISPは神の言語」と称されています。この言語は非常に古いながらも、柔軟性が高く、使いこなせれば驚くべき生産性を発揮します。本書では、わかりやすいサンプルコードを用いながら、他の言語がなぜLISPに及ばないのかを説明しています。ハッカーが道具をどれだけ慎重に選び抜いているのかを、本書を読むと実感できます。

本書を読めば、プログラミング言語に対する考え方が変わるでしょう。求人広告に載っているような「流行りの言語」だけを追いかけるのではなく、「自分が何を実現したいのか」「そのためにはどの言語が最適なのか」を考える視点を得られるはずです。必ずしもLISPが自分にとって最良の言語とは限りませんが、本書を通じて、自分のやりたいことにどうアプローチするかを考えるきっかけになります。

ちなみに、僕もこの書籍に影響を受けてPerlPythonRubyといったスクリプト言語を習得しました。一時期はAmazonAPIを使って本の相場を調べたり、ウェブサイトから情報を収集するクローラーを作成したりしていました。これも本書がきっかけです。


ハッカーと画家』が刊行されてから約20年が経ちますが、今読んでも新しい発見がある書籍です。そして、グレアムが描いた未来が実際に実現しつつあることに驚かされます。

今、僕はChatGPTを活用しながらブログを書いています。仕事やプライベートでプログラミングをする機会は減りましたが、本書で得たハッカー的な気質は、今でも自分の中で生き続けています。

【読書】「早わかり文学史」出口汪著

どうも、武器商人です。

僕は1982年生まれの42歳ですが、20年以上前に大学受験を経験しました。当時は、今よりも競争率が高く、いわゆる「受験戦争」と呼ばれる時代でした。緊張感が漂う中、勉強に励んでいたのを今でも覚えています。

得意だった教科は英語と数学。一方で、国語は苦手でした。文章を読むのも書くのも不得意で、出題者の意図を汲み取ることなんて到底できませんでした。そんな僕を助けてくれたのが、予備校の講義をそのまま書籍化した「実況中継シリーズ」でした。

このシリーズは、講義形式で書かれており、まるで本当に授業を受けているような感覚になれる面白い内容でした。当時、多くの受験生に愛され、大人気シリーズでした。その中でも特に僕が気に入っていたのが、「早わかり文学史」です。

 

早わかり文学史

早わかり文学史

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文学というのは、活字が好きな人であれば作品としての面白さを感じられるものです。しかし、その作品が書かれた時代背景や、どのような時代にどんな作品が流行していたのかを知ると、さらに深く楽しめます。こうした背景知識を手軽に得られるのが、この書籍の魅力です。

「早わかり文学史」は1996年に刊行されたもので、今ではかなり古い本と言えます。著者の出口汪先生は、当時の大人気予備校講師でした。この本は、文学史の流れを説明するだけでなく、非常に面白く語られているのが特徴です。僕が大学受験時に読んだのが20年以上も前ですが、今読み返しても、当時の記憶がよみがえり、懐かしい気持ちになります。

内容としては、近代文学史=西洋化の流れを起点に話が進みます。それ以前の古典作品については扱われておらず、坪内逍遥が西洋文学を日本に導入したところから始まります。この流れが日本の西洋化とリンクしており、以下の4つの大きな時代区分で整理されています。

  1. 明治初期
    写実主義 ⇔ 擬古典主義

  2. 明治中期
    ロマン主義

  3. 明治末~大正
    自然主義反自然主義

  4. 昭和
    プロレタリア文学 ⇔ 芸術派

各時期の代表的な作家や作品を織り交ぜながら、文学史をつながりのあるストーリーとしてまとめ上げた筆者の手腕には脱帽です。また、巻末には主要な文芸思想や作家、作品の総まとめが付録として収録されており、非常に実用的です。

日本の文学史を体系的に学びたい方はもちろん、日本の古典小説に挑戦してみたい方にとっても、この本は優れたガイドになると思います。それに、単純に読み物としても十分に楽しめる内容です。

最後に、文学史という性質上、日本を代表する数多くの作品が登場します。しかし、中には読むのが難しい作品や、忙しくて読書時間が取れない方もいるでしょう。そんなときは、漫画化や映画化された作品を活用するのも良いと思います。文学史の流れを把握しておけば、さらに楽しめること間違いありません。

【読書】:『「自分メディア」はこう作る!』

どうも、武器商人です。

ブロガー歴10年以上になる僕ですが、ブログ創成期から活躍している「ちきりんの日記」の著者の『「自分メディア」はこう作る!』という書籍についてレビューしたいと思います。

 

 


古本屋で出会った懐かしい一冊

僕のブロガー歴は正確な年数こそ覚えていませんが、10年以上は続いています。先日、趣味の古本屋巡りをしていた際に、「ちきりん」さんの書籍を偶然見つけました。懐かしい気持ちになり、思わず手に取ったのです。


ブログ創成期から活躍している「ちきりん」さん

ちきりんさんといえば、ブログ創成期から活躍している有名なブロガーです。その代表作である「ちきりんの日記」は、2005年にスタートしました。本書には、ブログがどのように成長し、世の中に受け入れられていったのかが年表付きで詳しく書かれています。

僕も長年ネットを中心に生活している身ですが、この書籍が刊行されていたことは正直知りませんでした。理由は単純で、「ブログはいつでも無料で読めるもの」という先入観があったからです。それゆえ、書籍化のニュースを目にしてもスルーしてしまっていたのでしょう。


SEO重視の時代に刺さる一冊

最近のブログ関連書籍を見ると、SEOなど専門的な知識に特化した内容が増えた印象があります。著者の個性よりも、検索エンジンで目立つ内容を書くことが重視される傾向が強まっているように感じます。

しかし、ちきりんさんの書籍はそうした流れとは一線を画しています。SEOハックに頼るのではなく、「ちきりんさんがどう考えるか」という視点そのものに価値があります。そのため、多くの読者が彼女のブログを訪れる理由は、単なる情報収集ではなく、彼女の意見や視点に共感し、興味を持つからではないでしょうか。


AI時代における「誰が書いたか」の重要性

生成AIの普及により、誰が書いたか分からない文章がアルゴリズムに評価され、検索順位がその信憑性の証明として扱われる時代が到来しています。この傾向はさらに強まるでしょう。

それでもなお、「誰が書いたか」を重視する読者層は一定数存在するはずです。多様性のある社会では、著者の人となりや意見そのものに価値を見出す人がいるのです。


初心に立ち返るきっかけ

本書では、ちきりんさん自身がブログをどのように成長させたのかが詳細に語られています。ブログ創成期という特異な時代背景があるものの、彼女の試行錯誤や考え方は今のブロガーにも大いに参考になるでしょう。

僕自身、ブログを始めて数年後にはアクセス数を気にするあまり、SEO的視点にとらわれすぎてしまった時期がありました。その結果、自分の考えを深く掘り下げることを忘れがちになっていました。しかし、この書籍を読んだことで、初心に立ち返ることができました。


まとめ

ブログ運営において、何を重視するかは時代や状況によって変わります。しかし、個人の考えや視点に価値を見出す人はいつの時代も存在するものです。ちきりんさんのようなブロガーが築いた軌跡を知ることで、ブログを書く意義を改めて見直すことができるのではないでしょうか。

この一冊は、初心者からベテランまで、すべてのブロガーにとって学びの多い内容となっています。初心を忘れず、これからもブログを続けていきたいと思います。